天の川をさかのぼった男と宝満川をさかのぼってきた男 七夕ぼん-おごおり探検隊

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29.jpg とつぜん、子どもの驚いた声がした。柳青は、男、女、子ども、見知らぬひとびとにとりかこまれた。話していることばがぜんぜんわからない。人に押さえられて、郡(ぐん)の役所につれていかれた。軍の役人は驚かない。すぐに唐のことばのわかる人を呼びよせた。このあたりには昔から海のむこうの国、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)や中国大陸(ちゅうごくたいりく)から渡ってきた人たちがたくさん住みついていた。こちらから中国大陸に行って帰った人たちもいた。宝満川(ほうまんがわ)をさかのぼった先には大宰府(だざいふ)があり、その北には博多津(はかたのつ)があって、唐に行く遣唐使(けんとうし)の船も出ている。そこには外国のことばのわかる通訳(つうやく)もいた。
 柳青は、ふるさとの中国の海辺から、東へ海を越えてきて、日本国の有明海にはいり、筑後川(ちくごがわ)をさかのぼり、宝満川をさかのぼって、小郡(おごおり)についたのだった。
 このようすを郡の役人たちに話して、柳青(りゅうせい)はしみじみを語った。
「むかし、わが先祖が漢水(かんすい)をさかのぼり、漢水から天の川と出合って、天の川をさかのぼって行った。そこに天の神さまの宮殿があり、織姫が布を織っていた。わたしがここに流れついて川の岸にあがり、家の近くに行くと、機織りの音がしきりにしていた。ここはあの天の川のほとりのようすと同じで、宝満川は漢水に似ている。」
 そのあと柳青は小郡に住みついて、機織りの上手な娘と夫婦になった。妻が織る機の音をききながら、まわりの人に天の川をさかのぼったご先祖さまのことを話し、厳君平(げんくんぺい)から聞いたという七夕の星の話をした。
 そして、いつも、子や孫に話していた。
「星にねがいをかけるとかなうというのもほんとうだな。わたしはここに流れついて、この妻と出会って、おまえらとくらせて、つくづくしあわせだと思うよ。」

 七夕の話が日本に伝わったのは奈良(なら)時代で、今から千二百年ぐらい前のことといわれているけど、唐の国の柳青が小郡に流れついたのは、それよりも百年前のことであるらしい。だから、日本で一番早く、小郡に七夕の話が伝わってきたのではないだろうか。