七夕伝説が根づく風土と歴史 七夕ぼん-おごおり探検隊

 七夕伝説が中国から伝わったとしても、伝えられたその土地でそれを受け入れるための条02-sasi.gif件がそろっていなければ、せっかく伝えられた文化もその土地に根づくことはありません。小郡はその点はどうだったのでしょうか。
 今から千年以上前に作られた『延喜式』という書物に、各地から朝廷に差し出す献上品の一覧表が残っています。
 それによると、小郡を含む筑後の国の献上品は「米と織物」になっています。筑後以外の国が肉や海産物であるのに比べ、筑後は織物を占める割合が高いのです。
 この織物産業に携わっていた人々は、古来から織物の神としては「たなばたつめ」という機織りの女神を信仰していました。この「たなばたつめ」の女神と七夕の織姫(おりひめ)は別のものです。
 しかし、おそらく、伝来してきた中国の「七夕」(しちゅう)の信仰の織女の物語と日本の古来の「たなはたつめ」の信仰とがいつの間にか混ざりあって、「たなばたつめ」と織女(おりひめ)が同じものになったのでしょう。そして「七夕」(しちゅう)の字も「たなばた」と読むようになったと思われます。
 このように筑後の国で盛んな産業であった織物業に携わっていた人々が、七夕伝説の担い手となりました。
 七夕の信仰が日本に入って来た時、それを受け入れる状況が筑後平野では既に生まれていて、おそらく日本でも最も早い時期に七夕信仰が根づいたのだろうということです。
 古老の話によれば、終戦までの8月6日は早朝から翌7日の朝にかけ、大崎へ通じる道路はすべて参拝者が列をなし、南は大牟田・八女、北は福岡といった遠方からも、お詣りがあったとのことです。